鞘師里保

2015年12月31日のハロー!プロジェクトのカウントダウンコンサート1部を最後に鞘師里保モーニング娘。'15から卒業した。今後は海外に留学して語学やダンスを学ぶという。


ぼくはハロプロのカウントダウンに行ったのは(ライブビューイングではあるが)初めてだった。今回も行く予定は立てていなかった。正月のハロコンも行かない。2015秋のモーニング娘。'15のツアーも一公演も予定に入れてなかった。



10月29日、鞘師里保の卒業が

公式に発表された。

とても驚いた。まったく予期していなかった。

そしてそれを知ってから分毎に時間毎に日毎に、自分自身にとって鞘師卒業の事実が意外なほど大きく思いの外大きなダメージを負っていることに気づいた。秋から年始に掛けて一切予定に組み込んでいないグループのメンバーの卒業に想定外に心を痛めていることに驚いた。




しかし思えばぼくのハロヲタとしてのスタートは「鞘師里保を追わなければならない」というところから始まったと言える。

2011年、ひょんなことから前年のライバルサバイバルの動画を見たことがきっかけでモーニング娘。に関心を持ったぼくは数年ぶりの新メンバーが加入した新生モーニング娘。の春公演を収めたDVD(新創世記ファンタジーDX)を購入した。

そこに収録されていたMoonlight night~月夜の晩だよ~ という曲で高橋愛新垣里沙に挟まれながら歌って踊っていたちっちゃな子が鞘師里保だった。

二人の10年選手に見劣りしないパフォーマンスを堂々と披露するまだ加入数ヶ月の中学一年生のちっちゃな鞘師里保にぼくは目を丸くした。ロリコンだからではない。(ロリコンだからではないんだ。違うんだ。ホントなんだ。助けてくれ!)

目を丸くした、という表現が控えめのように感じるかもしれないが元々ぱっちりお目目ではないぼくが目を丸くしたのだからそれは大層なことである。そんなことはどうでもいい。

とにかく驚いた。新しい時代が始まる!と予期させるに十分な衝撃だった。

その後、高橋愛卒業(ぼくが初めてモーニング娘。を見た公演(二日あるうちの一日目だが)と新垣里沙及び光井愛佳卒業(二回目に見た公演)を経て6期の道重田中以外がすべてここ一年半くらいに加入したばかりというメンバーで構成されるようになる。

本当の意味での新生モーニング娘。が始まり快作 one two three である。

(ぼくは自分を「one two three 新規」と呼んでいる)

鞘師は田中れいなと並びセンター、曲調からしても新時代の幕開けを感じさせた。

このグループを追おう!鞘師里保を追おう!きっとぼくがリアルタイムでは見逃してしまったプラチナ期以上のものをモーニング娘。は、鞘師里保は見せてくれるはずだ!(希望に満ちた当時20代後半の真顔)


そこから鞘師里保はエースと呼ばれ常にグループで重要なポジションを任され続けてきた。歴史のあるモーニング娘。でこないだ入ったばかりの中学生が負うには相当に重たい看板だったと思う。

中学生の頃サッカー部に所属していたぼくは主にベンチにいたが(少なからず期待されて)交代出場の機会を得たことがある。当然ながら活躍したいという気持ちがありながらおかしな方向に思春期が発動してしまいダラダラやってたらものの数分で交代退場の憂き目にあった。モーニング娘。の重みを真っ正直に背負った鞘師との人生に大きな差が出るのは明白である。

歴史の重み、というのはことあるごとに彼女自身が語っていたことでもある。引用などは載せない。ぼくの自宅にある12年、13年あたりのインタビュー記事をさっき読んで確認したから確かだ。

(ちなみに卒業セレモニーで加入当初リーダーになりたいと発言していたことが印象に残っているとまいみが言っていたがまったく同じことを三年半前の対談であいりが言っている記事もあった)

鞘師里保は多感な10代の貴重な5年間をモーニング娘。に捧げたのである。ぼくはそこに感動し勇気を貰うのだ。


昨年末に発売された『モーニング娘。 鞘師里保全集2011-2015』を見ながらその無邪気な笑顔の裏には、大いに悩んだり苦しんだり嘆いたり泣いたりしたこともあっただろうと涙するのだ。


彼女はなかばネタ的に面白おかしく「ぼっちキャラ」などと言われるが、それは元来持った性格だけでなく歴史あるモーニング娘。のエースと呼ばれるポジションにあまりに若くして就いてしまったがためにそうならざるを得なかった部分もあったのではなかろうかと、(昨年スマホ不調の時にショップ店員に初期化を試してみなさいと進言されたのを「電話帳全部消えてもまあいいか」と安易に初期化を実行する程度に)ぼっち傾向の強いぼくは思うのである。

孤高のぼっちと単なる人間嫌いの好き好んでぼっちがまったくその質を異にすることくらいはわかっている。







とまあ、ここまで書いてきたが、ぼくは初めて鞘師里保のパフォーマンスを見た衝撃やone two three発表当初に抱いた未来への期待を持続させることが出来ずにあっちこっちに流れては「○○かわいい」「○○さいこう」「○○ひゃっっほーい!」と節操なく楽しんでしまっていた。

冒頭で述べた通り、秋ツアーはおろか今回のカウントダウンも、(その時点では鞘師が出ると疑うことすら出来なかった)年明けのハロコンにすら行く予定を立てていなかった。毎ツアー一度くらいは行っていたのに今回に関しては、「まあいいや」で片付けてしまっていた。

これからもしばらく続くと安易に考えてしまっていたモーニング娘。鞘師里保を軽んじていたのは否定できない。

いつ会えなくなるかわからない、いつ見られなくなるかわからない、アイドルはそういうものだと身をもって痛感した。

慌てて取ろうとしたモーニング娘。'15としての最後の単独公演は取れなかった(手段を選ばなければ取れただろうがぼくにはポリシーがある)。

そしてカウントダウンのライブビューイングを見に行くことにしたのである。




鞘師の卒業にどの程度の数の人がどの程度の思いを抱くのかわからない。たぶんぼくと同じように感じる人もいるだろうがさほどショックではない、もしくはどうでもいいくらいに感じているような人もいるだろう。ここでいう「人」は基本的には「ハロヲタ」を指す。

だが考えてほしい。ハロプロは数年前に比べ明らかに盛り上がっている。℃-ute横浜アリーナで、モーニング娘。やアンジュルムは武道館公演を行うようになった。それが何の驚きでもなくなった。研修生はほとんど総入れ換えに近いくらい動きが活発になっていて新グループはいくつも増えた。

その嚆矢となったのは間違いなくモーニング娘。の再興である。それがなければいまのハロプロの盛り上がりはない。今回のカウントダウンのライブビューイングもなかったかもしれない。かにょんの卒コンが中野だったかもしれない。つばきやこぶしはおろかもしかしたらJuice=Juiceすら結成されていなかったかもしれない。すべてがモーニング娘。の再興あってこそのものだと思う。

ではそこに繋がるまでに一番大きな役割を果たしたのは?

それは道重さゆみだろう。そこに異論の余地はない。

だが、そのきっかけとなったグループの変化は?

これは9期加入。鞘師里保モーニング娘。加入だとぼくは考えている。鞘師がいなければいまの路線への変更はなかった。それがなければモーニング娘。再興もなかった。 少なくともぼくはそう考えている。

ぼくが初めて見た時よりもさらにちっちゃかった頃、彼女はGo Girl~恋のヴィクトリー~を聴いてモーニング娘。に憧れた。そしてダンスを始めた。モーニング娘。になりたくて。数年ぶりにようやく開かれた新メンバーオーディションに「明日からでも使えると思った」とダンスの先生が評する実力で見事に合格する。

それから5年。彼女は斯くも大きな足跡を影響を残して次の夢へ向かい旅立っていった。 まだ17歳、可能性は無限だ。無限だからこそもしかしたらいつか「あの人は今」的な番組でぼくの涙や思いを台無しにしてくれることもあるかもしれない。あくまでもしかしたら、の、もしかしたら、の話。


改めて思うが、鞘師里保はぼくの初めての推しメンだったのだと思う。卒業発表のあとに気づいた。初めての推しメンの卒業はとても大きなことだった。これでぼくもアイドルヲタクとしてひとつ成長することになるだろう。そして一般の社会からひとつ後退することとなるだろう。ひゃっっほーい!




最後に鞘師里保ラストシングルのつんく♂氏ライナーを http://s.ameblo.jp/tsunku-blog/entry-12103730188.html



P.S.カウントダウンパーティー1部で鞘師が一度はけ、その後再登場し「ひゃっっほーい!ひゃっっほーい!」と連発したそうですが当方さっさと外に出てしまい完全にそれ見逃してます。鞘師推し失格です。